【MPメルマガ 第92回】「和を以て貴しとなす」の裏側 その2 ~”和を乱す”ということ~ (2016年6月2日配信分)

こんにちはMPCの外山です。

前回から単発ネタに入っているわけですが、同時に次回のシリーズの構想も着々と固めております。
そんな中で予告ですが、次回のシリーズ<情報編>からこのメルマガの形式を変更します!
配信日や配信回数に変更はありませんが、シリーズものについては構成を変えます。

今まで皆さんから頂いたご感想やご意見を参考に「より、読みやすく、わかりやすく、楽しく」をコンセプトに変更を行う予定です。どうなるかは今後のお楽しみです。

さて、前回から「和を以って貴しとなす」という言葉についてお話しているわけですが、今回もその続きです。今回は「和を以って貴しとなす」の弊害について書きます。

【弊害その1「”原理・原則・ルール”が守られない(守らない)理由になる」】

前回の最後に「和を以って貴しとなす」の弊害として、
「”原理・原則・ルール”が守られない(守らない)理由になる」
と書きました。

これだけ書かれるといまいちわかり辛いと思うので、例をあげて説明します。

皆さん子供のころに、友達と示し合わせて誰かを”無視したこと”はありませんか?「あいつなんかムカつくからちょっと無視してやろうぜ!」みたいなことです。自分がやってかったとしても、誰かがやってるのを見たり、聞いたりはしているはずです。

さて、ここで質問です。「何で誰かを無視したんですか?」

「あいつがムカついたから」と答えた方、本当にそうですか??

本当は「みんなでそう決めたから」じゃないですか???もっと言ってしまえば、「そういう空気になっていたから」じゃないですか??

当たり前のことですが人を”無視する”という行為は、人としての”原理・原則”に反します。その人の存在を認めないんだから、人としての尊厳に関わる重要な問題です。まだ、喧嘩するほうがましです。とにかく、やってはいけないことです。

まあ、そんなことは皆言われなくても分かってます。その上で、もう一つ聞きます。

「じゃあ、やっちゃいかんことだと分かっていて、何でやったんですか?」
(だんだん学校の先生みたいになってきましたが、続けますね。)

「自分もやられるかもしれなかったから…」

ではないですか?

これが「(和を貴しとしたために)原理・原則が守られない」ってことです。

【”原理・原則”よりも”和”が重要】

じゃあ、何でこんなことが起こるのか?それは、
『日本の社会では”和”が最も重要だから』
です。

つまり、上の例で言えば人としての”原理・原則”よりも、友達の”和”のほうが重要視されるってことです。だから、みんな”和”を重視するために(和を乱さないために)誰かを無視するという”原理・原則”に反する行為に加担してしまうわけです。

そして、”原理・原則”よりも”和”を重視しているから、”和を乱すやつ”は”原理・原則を守るやつ”よりも罪が重いわけです。
だから、”和を乱すやつ”には何らかの制裁が加えられるわけです。

「誰がどう考えてもおかしいだろっていう、企業の不正」や「ごみが落ちていても誰も拾わないこと」や「誰も挨拶をしない」ということが起こるのはこんなメカニズムが働いているからだと思います。

ただ、似たようなことは他の国でも起こりますけどね(たぶん…)ただ、日本はこうなりやすいってことです。

で、この理屈があるがために次の2つの弊害も発生してくるわけです。

【弊害その2「意思決定に時間が掛かる/時間かけた挙句何も決まらない/責任の所在がよく分からない」】

”弊害その2”と書いておきながら、3つのことを書きました。「分けろよ!」って思われるかもしれませんが、いちいち分けて説明すると長くなるし、面倒だし、そもそもこれらの現象は一連の流れの中で生まれてくるのでひとくくりにまとめてみました。

日本人は「意思決定に時間が掛かる」とよく言われます。これはなぜかというと…「皆で話し合いをするから」です。じゃあ、なぜ話し合いをするのかというと…「話し合いをせずに決めると(それが正しいことだとしても…)”勝手に決めた”って怒られることがあるから」です。じゃあ、なぜ怒られるのか…

『話し合いをせずに物事を決めることは”和を乱す”とみなされるから』です。

”和を乱す”ということがどういうことかは先ほど説明しました。

で、話し合いで物事を決めようとすると何が起こるかというと…皆が勝手なことを言ったり、お互いに気を使って譲り合い始めたり、他人任せになったりして「結局何も決まらない」という現象が発生します。

そして話し合いをして決めると、その結果は「皆で決めたこと」になります。責任の所在が”皆”という曖昧なものになります。で、ここで責任を問われたときに「皆で決めたから皆で責任を…」って言い出すか、「発案者は私です。だから私が…」とでも言い出す人が現れればいいのですが、結局うやむやになることも多いです。

話し合いについて否定的に書きましたが、別に「話し合いがいかん」と言っているわけではないですからね。あくまで、「こういうリスクもあるよ」って話です。

【弊害その3「強いリーダーが生まれ辛い」】

前回も少し書きましたが、”和”を重視すると強いリーダーは生まれ辛いです。強いリーダーというのはどういう人かと言うと、ガンガン物事を決めて、実行して、皆を引っ張っていく人ってことです。

なぜかというと、こういうリーダーは「勝手に物事を決めてしまうから」です。先ほども書きましたがこういう人は”和を乱す”人です。だから、最初は歓迎されてもそのうち嫌がられ始めます。だから、日本では「強いリーダーは生まれ辛い」(厳密に言うと定着し辛い)です。

実際日本の首相も事なかれ主義の無難な人のときは、「もっとリーダーシップを…」って言われるのに、いざリーダーシップが強い人が出てくると「独裁者」とか言われ始めるじゃないですか?

私としては「数年前までリーダーシップ強い人求めてたんじゃないのかよ?おかしいじゃねーか!」って毎回思うわけですが…。(政策に反対ならいいのですが、政策関係なしに何でもかんでも”独裁”って言っている気がするので…)

「出る杭は打たれる」って諺がありますが、これも”和”を重視しているが故かなと思います。

ということで、今回は「和を以って貴しとなす」の弊害について書きました。
次回は「じゃあどうするんだ?」ってことを書く予定です。

では・・・。

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