【MPメルマガ 第182回】信長に学ぶ経営その5 ~信長の人材育成~(2017年5月23日配信分)

こんにちはMPCの外山です。

GW明けから暑くなってきましたね~。昼間なんかはもう夏です。
昼間は暑いですが、朝晩は湿気が無くて過ごし易いです。
夏場もこんな感じだったら快適なんですけどね…。

さて、前回は誰でも仕事が出来る仕組みを作って人を確保するって話でしたが、あれは定型業務が多い現場仕事の場合の話。非定型業務が多くなってくる幹部の人材確保ってなってくると時間と手間をかけて人を「育てる」ってことが必要になってきます。

ということで、今回は信長の人材育成の話です。信長の家臣への接し方などのエピソードを見てみると、「こうやっていたから人が育ったんだろうな~」って思える特徴がいくつかあるので、その当りのことを話していきます。

【特徴1 過酷なOJT】

信長が育てた人材として有名な人が2人います。羽柴秀吉と明智光秀です。この2人は信長の譜代の家臣ではありません。

秀吉は農民出身と言われていますし、光秀は信長に仕える前の経歴が全く不明な人です。要は2人とも出自が定かではない人です。この2人を信長は織田軍を支えるツートップまで育てます。

どうやったのかと言うと、この2人に過酷なOJTを施します。とにかく色んなことをやらせます。
方針だけ伝えてあとは「やってみろ!」です。出来る出来ないの問題はあとです。(というか「出来るようになれ!」だと思いますが…)

過酷で乱暴なOJTです。OJTと言うと聞こえはいいですが、要は仕事の無茶振りです。まず、信長は幹部クラスに対してこういうことをしました。

【特徴2 やった分だけ評価】

でも、仕事を無茶振りされる方はたまったもんじゃないですよね…。秀吉・光秀が「やってられるか!」って言い出してもよさそうなもんです。でもそうはなってません。なぜか?それは信長がやった分だけ「評価をしてくれたから」です。

信長は無茶な仕事の振り方をすることで有名ですが、一方家臣への褒美の出し方もすごいです。

例えば光秀なんかは、採用されてからわずか3年で坂本城を与えられます。織田家の中で城を与えられたのは光秀が最初です。その次に城持ちになったのは秀吉です。(光秀の2年後に長浜城主になります)

昔山本五十六って人が「やってみて、言って聞かせて、やらせてみて、”褒めてやらねば”人は動かじ」という名言を残していますが、この「褒めてやらねば」をしっかり信長はやっていたわけです。

【特徴3 多様な褒美】

信長は多種多様な褒美を与えることで、家臣を評価しました。褒美というと、「領地」というイメージが強いですが、それ以外にも様々な褒美がありました。領地以外にも、「金銀」「武具」など褒美となるものはありますが、信長は他にも「茶器」や「茶会の開催権」なども褒美にしました。

当時の人たちにとって、名物となる茶器を持つことや、茶会を開催することは大変なステータスシンボルだったので、これらの褒美は時には領地よりも価値がありました。

自分で褒美を考案するぐらいなので、信長は評価ということには相当こだわっていたんだと思います。

あと、信長はまめに「感状」というものも出しています。感状とは簡単に言うと、「良く出来ました!」っていう感謝状みたいなもんです。これを貰うことは名誉なことですし、あと感状を基準にして領地が決まったり、会議の席次が決まったりもしたそうです。

信長公記を読むと、ところどころに「(信長公は)誰々に感状を出した…」という記述があるので、
結構まめに出してたんじゃないかと思います。

何を与えるにしろ、褒美という形でしっかりと評価しているということを伝えたってことが重要です。

【特徴4 何もしない奴には厳しい】

信長は褒めるところは褒めましたが、厳しいところは厳しいです。特に「何もしない」ってことに対しては厳しい評価をしていたんじゃないかと思っています。信長が重臣である佐久間信盛という人に下した評価を見るとそう思います。

佐久間信盛という人は信長の父親の代から織田家に仕える重臣です。今の会社で言えば、先代の社長のころからいる副社長クラスの役員って感じの立場の人です。

その人を信長はクビにしました。そのときにクビにする理由を書いた「19か条の折檻状」という記録があるのですが、その中に…

「石山本願寺との戦いでは戦も調略もせず、ただ城の守りを固めていただけだった」
「明智光秀、羽柴秀吉、池田恒興を見て奮戦すべきだったのにしなかった」
「柴田勝家も秀吉たちの活躍を見て一国の主でありながらさらに奮戦した(それなのにあなたはしてない)」
「戦いが苦手なら、謀略すればいいし、足りないところは信長に相談しに来ればいいのに
それすらしていない」
「本来家臣を増やすべきなのにそれもしていない」

全て私の意訳ですが、こんな感じで「お前は何もしてない」ってことが書いてあります。

マイナス評価ってことであれば、羽柴秀吉も結構やらかしてまして、結構信長に怒られています。だけど、クビになることはありませんでした。(謹慎処分はありましたけど…)

昔どこかで、「成功の反対は失敗ではなく”何もしないこと”だ」という話を聞いたことがありますが、もしかしたら信長も同じ考えを持っていたのかもしれませんね。だから、重臣である佐久間信盛に厳しい評価を下したんじゃないかと思ってます。

ということで、今回はここまで。次回も人材育成の話をします。

では・・・。

メルマガ登録はこちら