こんにちはMPCの外山です。

少し前にソニーが復活するという記事が新聞に出ていました。

ビジネスモデルを変えて復活ということでしたが、
どうなるでしょう?楽しみです。

今回の信長ネタの一番最初にもお話しましたが、織田信長の勢力と
いうのはわずか20年で急成長しました。

ネットで「信長 領土 変遷」とかで検索してもらったら分かるのですが、
1560年では尾張(愛知東部)を何とか支配している程度だったのが
1570年には東海3県、1580年になると中部地方~岡山県当りまでを
支配するようになります。

倍々ゲームで急成長して中小企業が超大企業になった感じです。
特に1570年代後半の成長っぷりはすごいです。
(出来事で言うと、長篠の戦いが終わったあとです)

ということで、今回は急成長を支えた織田軍の組織の話です。

【超多忙な信長】

1568年に信長は足利義昭を将軍にするために上洛をします。
まあ、地方の会社が全国展開始めたみたいな感じです。

それに伴って、彼は超多忙になります。
京都の治安は維持しなきゃいけないわ、公家との付き合いはあるわ
領地の内政はやらなきゃいけないわ、領地内の反抗勢力を成敗しなきゃいけないわで、
多忙なところに、将軍義昭が「俺、信長嫌い!」って言い出したもんだからさあ大変。

信長包囲網というものが出来ます。武田・上杉・浅井・朝倉・毛利・本願寺など
歴史に詳しく無い人でも名前ぐらいは聞いたことあるような人たちが一斉に敵になります。
有名人で仲間になってくれるのは家康だけです。
(余談ですが、信長は武田・上杉だけは絶対に敵にしたくないと考えていたようで、
信玄と謙信にはかなりの気遣いをしてました。それが敵になったから大変です…)

信長が行った桶狭間以外の有名な戦いと言えば、
「姉川の合戦」「比叡山焼き討ち」「三方ヶ原の戦い(これは家康メインですが)」
「一乗谷/小谷城の戦い」「長島一向一揆の戦い」「長篠の戦い」がありますが、
これらはわずか5年の間に起こっています。

しかもその間に細かい争いがいくつもありますし、将軍義昭に説教したり追放したり、
空気の読めない公家の相手をしたりしてたから超多忙です。

でも、良いことが1つありました。この間に部下が育ちました。

【方面軍設置】

長篠の戦いで最大の脅威である武田家を破った信長は、さらなる勢力拡大のために
”方面軍”という組織を設置します。

方面軍とは何かというと、各方面ごとに司令官を任命し”方面軍”という組織を作って
各地を支配していく制度です。方面軍がどういう構成になっていたかというと…。

美濃・尾張方面軍:織田信忠
信州・甲州方面軍(対武田方面軍):織田信忠、滝川一益
対本願寺方面軍:佐久間信盛
北陸方面軍:柴田勝家
近畿方面軍:明智光秀
中国方面軍:羽柴秀吉
関東方面軍:滝川一益
四国方面軍:織田信孝、丹羽長秀
伊勢・伊賀方面軍:織田信雄
東海道方面:徳川家康(家康は部下ではないですけどね)

こんな感じです。現代の会社に例えると、事業部制みたいなもんです。
例えば、中国方面軍であれば「中国事業部:事業部長 羽柴秀吉」みたいな感じです。

事業部制なので、各事業部長には大きな権限が与えられます。権限委譲というやつです。
社長の信長は大きな方針と重大な決定事項を決めて、
他のことは各事業部長が決めるって感じです。

【方面軍を設置する(事業部制にする)ことによるメリット】

では、「何で方面軍(事業部)を設置したのか?」という理由をいくつか説明していきます。

理由1:もっと早く勢力拡大するため

方面軍を設置して、各方面の司令官に意思決定の権限を与えると意思決定のスピードが早くなります。
意思決定が早くなるってことは、その後の行動も早くなるってことです。
行動が早くなれば、勢力拡大のスピードも早くなります。

理由2:信長が社長としての仕事をするため

権限を部下に委譲することで、信長は日々の業務から解放されます。
その分時間が出来るので、信長自身は今後の方針などの大きなことを考えることが出来るように
なります。つまり、社長としての本来の仕事が出来るようになるわけです。

理由3:後継者の育成

権限を委譲するということは、「自分のコピー」を作ることと同じです。
「自分のコピー」が出来て、その人が育っていけばゆくゆくは自分の後継者が出来上がります。
そして、「自分のコピー」をたくさん作っておけば、後継者を支える人材も確保出来ます。

後継者問題で問題となるのは、「後継者となる人材の確保」と「後継者を支える人材の確保」です。

後継者というのは誰かを指名して「お前明日から社長な」って言っただけでは確保したことになりません。
きちんと何年も前から育てておかないと後継者としては機能しません。

あと、もう1つ問題となるのは「後継者を支える人材」の確保です。所謂「社長の右腕」ってやつです。
(実際に私は「社長はいるけど、右腕がいない」ということを相談されることが多いです)

信長の場合不幸だったのは、後継者の信忠が信長と同時に本能寺の変で亡くなってしまったことです。
ただ、本能寺の変が起こったことで、織田家の人間が信長の後を継ぐことにはなりませんでしたが、
その後、方面軍司令官(事業部長)だった秀吉と家康が天下統一を行ったということを考えると
信長の後継者育成システムはきちんと機能したのかなとも思います。

実際に信長が以上のようなことを目的として方面軍を作ったのかどうかは分かりませんが、
(そこは信長に「実際のところどうなんですか?」って聞かないと分かりません)
組織論の理屈で考えるとこうなります。

余談ですが、もし本能寺の変のときに信忠が生きていたらどうなってたんですかね?
私が思うに、信忠がいる以上秀吉が後を継ぐ正統性は無いので、秀吉が天下を
取ることは無かったと思います。嫡男信忠を蹴落とそうとしたら光秀と同じ評価を受けますからね。

ただ、信忠が健在だった場合家康はどう動いたんでしょうね?そこは興味深いところです。

ということで、今回はここまで。次回も少し続きをやります。

では・・・。

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