こんにちはMPCの外山です。

年末が近づいてきたので、年末年始のメルマガ配信予定についてお知らせします。

12月27日(火):「時代劇で経済を勉強しよう!」最終回
12月29日(木)~1月3日(火):年末年始のためメルマガお休み
1月5日(木):新年特別号配信
1月10日(火):新シリーズスタート

新シリーズの内容は次回発表します。

さて、今回の内容ですが、前回の予告通り江戸時代ネタの最終回です。
今回は「経済を勉強しよう!」ってなってますが、内容はほぼ社会学の話です。
そして今回はいつもよりも長いです。

(人によっては今までの話よりも今回の話のほうが面白いかもしれません)

では、いきます。

【お金が卑しい社会】

今回の企画の中で、江戸時代の経済について色々と書いてきました。
為替決済の仕組みや信用貨幣の仕組みが既に出来上がっていたこと、
現代でも十分に通用する経済政策を行った人たちがいたことなどを色々書いてきたわけですが、
一つ不思議に思いませんか?

「どうしてこれだけのことをやっているのに、あまり知られていないんだろう?」って思いませんか?
「どうしてあまり騒がれていないんだろう?」って思いませんか?

「そりゃ昔は経済学って考え方もないし、経済のことって難しいからだろ?」って思うかもしれませんが、
理屈は分からなくても、「景気が良くなって、暮らし向きも良くなった」って話はもっと派手に言い伝えられても
いいんじゃないですかね?

赤穂浪士の討ち入りが「忠臣蔵」として物語にされたのなら、田沼意次の時代のことや徳川宗春の時代のことが
物語にされてもいいんじゃないですか?江戸時代版プロジェクトXみたいな物語があって…

「その折、田沼はこう申し候…。”商人から上納金を取れば良うござる”……皆、驚き申し候…。
その後…。幕府の蔵は金で満たされ候…」(プロジェクトX風に読んで下さい)

こんなこと書いた物語があってもいいじゃないですか。今でも「バブルの時代はこうだった」
「高度経済成長期はこうだった」って物語があるじゃないですか。なぜ、そういうものが無いんですかね?

その理由は、江戸時代には「お金を儲けることやお金を使うことは卑しい行為である」とされていたからです。
忠臣蔵のような”忠義”や”人情”は良いこととされていましたが、お金をに関わる”経済活動”は
良いこととされなかったので、私はこういう物語が語り継がれなかったのだと思います。

だから、教科書にも載ってないです。今でこそ、歴史学者の方々や経済学者の方々の努力で
知られるようになりましたが、江戸時代の経済のことが評価されるようになったのはつい最近のことです。

では、なぜ経済活動が良いこととされなかったのか?それは江戸時代の社会に一つの学問が存在していたからです。
その学問は「朱子学」と言います。

【朱子学の教え】

いきなり「朱子学」って言われても皆さん「え?何それ??」ってなると思うので簡単に説明しておきます。

朱子学とは中国で生まれた学問で儒教の一派です。朱子学の内容(教え)をすごくざっくり説明すると、
「目上の人や先人のやったことを敬いなさい」
「人には上下の身分があるんだから、それを守りなさい」
こんな感じで道徳を説く学問です。この朱子学は上下の身分を正当化するので、支配者には
都合が良い学問です。ですので、徳川幕府はこれを公式の学問として武士に学ばせました。
(ちなみに朱子学の内容とその影響については作家の井沢元彦さんや司馬遼太郎さんの
本に分かりやすく書いてありますので、興味があれば一読されることをお勧めします)

そして、朱子学の考え方の中に「貴穀賤金」という考え方がありました。
これ字を見たら分かりますけど、「穀(米)は”貴い”けど、金は”賤しい”」って書いてありますよね?
この教えを江戸時代のエリートたちは叩き込まれるわけです。

で、このことが分かってくると、「徳川吉宗・松平定信が経済オンチだった(経済政策が上手くいかなかった)理由」
「徳川宗春が商人に課税しなかった(出来なかった?)理由」「宗春と田沼意次の評価が低い理由」
ついでに「士農工商でなぜ商人が一番下なのか?」ということまで分かってきます。

ひとつずつ説明していきますね。

【徳川吉宗・松平定信が経済オンチだった(経済政策が上手くいかなかった)理由】

徳川吉宗と松平定信はともに超エリートです(吉宗は徳川御三家、定信は名門松平家出身)
ですので、子どもの頃から朱子学の考えを叩き込まれて育ちました。
彼らは「お金に関わることは賤しい行為」と考える人たちの権化のような存在です。

そんな人たちに経済政策をやらせたらどうなるか?
お金を儲けたり、使ったりするような政策をやるわけがないですよね…。

仮に誰かが「お金を使って幕府も金儲けをすべきでござる。そうしたら財政も立て直せるでござる」
なんてことを言ったとしても「は?お主はなにを戯けたことを言っておるか!!そんな
賤しいことが幕府自ら出来るか!!!」って言われて終わりです。

そもそも彼らはお金を賤しいと思っているので、経済的なことへの理解が足りません(というかしません)
仮に理解していたとしても、価値観が邪魔をして実行はされません。

じゃあどうしたか?「お金無いんだから節約しないと」っていう家計をやりくりするような単純な発想で
経済政策を行います。それが「倹約」です。倹約は賤しいお金を使わないので、朱子学の考えから
すれば良いことです。正しい政治が出来ます。

でも倹約だけだと不十分なので収入も増やさないといけません。そこで、「米を増産する」ことにしました。
これも、貴い米を増やすことなので良いことです。(前回書いてませんが、定信も米増産政策はやってます)

その結果はこれまで書いた通りです。

ちなみにこの後、水野忠邦という人が出てきて天保の改革ということをやります。
やったことは同じです。倹約して米増産して経済がおかしくなりました。でも、朱子学的には
正しいことをしたので”改革”と呼ばれています。

【徳川宗春が商人への課税をしなかった理由】

宗春の回では「徳川宗春は名古屋を好景気にしたが、商人への課税の仕組みが無かったので
結果的には財政難は改善しなかった」というようなことを書きました。

「じゃあ、何で無いの?」って話になりますが、その理由は朱子学で
「お金が賤しい」とされているからです。
米は貴いので年貢を取ることはOKですが、お金は賤しいので商人に課税をしてお金を
取ることはNGです。商人に課税するのは武士たるものがやるべき行為ではないとされていました。
ということなので、当時の尾張藩には商人から徴税する仕組みがありません。

「じゃあ、作ればよかったじゃん。宗春なら出来たんじゃないの?何で作らなかったのか?」って話になるんですが、
理由はいくつか考えられると思います。

理由1 「時間切れ説」
宗春自身もやろうとは思っていたが、朱子学の考えに反することなので抵抗に合い、時間が掛かっているうちに
失脚してしまって出来なかった。

理由2 「朱子学の考えから脱却出来ていない説」
実は宗春が「商人たちは儲けてOKだが、身分が違う自分たちまで儲ける(=課税して収入を得る)ことは
やりすぎだ」と考えていた。

理由3 「そもそも発想が無かった説」
誰も商人に課税はしていないので、その発想が出てこなかった。

私がざっと思いつくところでいくとこんな感じです。ただ3は無いかなと思います。なぜなら、戦国時代の大名は
商人に課税しているからです。宗春ともあろう人がそれを知らないってことはないと思います。

となると、理由1か2になるんですが、この当りのことが分かるような資料はまだ調べれてないので
具体的な原因は分かりません。ただ、ひとつ言えるのは朱子学の影響はあっただろうってことです。

【徳川宗春と田沼意次の評価が低い理由】

これは簡単です。朱子学の考え方に反して「お金を重視する」政策を取ったからです。
つまり「賤しいことに手を染めたけしからん奴ら」だと思われたから評価が低いです。
評価する基準の問題です。

【士農工商で商人が一番下の理由】

これももう分かったと思います。理由は「商人は賤しいお金を扱うから」です。
江戸時代の身分の評価を書くと…

士(武士):「政を担うから最も偉い」
農(農民):「汗水垂らして貴い米を作るから偉い」
工(職人):「生活に必要なものを作ってくれる、まあ普通の人たち」
商(商人):「賤しい金を扱う賤しい奴ら」

こんな感じだと思います。実際にこう思っていたかどうかは分かりませんが、朱子学の価値観から
するとこうなるはずです。

ということで、今回の内容はちょっと経済学とずれた話でした。
江戸時代は経済も発展したけど、その一方でその経済が軽視された時代でもあったんですね…。

このことが後々にも影響を与えることになるわけですが、その話はまた次回。

では・・・。

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