こんにちはMPCの外山です。

年末です。何かとバタバタしています。
本来配信日の前日までに書き上げているこのメルマガも
配信日当日に何とか完成させている始末…。

今年中にやることはやって、年始は落ち着いて迎えたいなと
思っている今日このごろです。

さて、今回のお遊び企画も今週で一旦区切りをつけようと思っています。
今回は田沼意次の後に登場した松平定信の政策の話です。

【松平定信ってどんな人?】

松平定信の政策について書く前に、そもそも松平定信ってどんな人なのかを
いつもの時代劇風に書いていきたいと思います。

助さん:「格さん。聞いたかい?ご老中様が代わられたって?」
格さん:「聞いたよ。松平様が老中になったんだろ?なんでも、随分お堅い方らしいじゃねぇか」
助さん:「なにせ名門”松平家”出身だからな。そりゃお堅い部分もあるだろうよ」
格さん:「あと、これは噂で聞いたんだが、田沼様を毛嫌いされてるとか…」
助さん:「それは俺も聞いた。とにかく反田沼らしいな…」

ということで、松平定信の人物紹介ですが、この人はその苗字から分かるように名門”松平家”の人です。
田沼政権の後半に起きた天明の大飢饉のときに、自分の領国での対応が良かったってことで
老中に抜擢されました。
性格は名門出身ということもあって、真面目というか頑固というかとにかく「お堅い」感じの人だったようです。

あと、この人田沼意次のことが大嫌いです。なので、前任の田沼意次がやったことをとにかく全否定します。
具体的にどんなことをやったのかを書いていきます。

【贅沢は敵だ!~倹約令で緊縮財政~】

松平定信が政権を取ってからしばらく後の江戸でのこと…

八兵衛:「助さ~ん。格さ~ん」
助さん:「格さん、向こうからやってくる奴、ありゃ八兵衛じゃねぇか?」
格さん:「そうだ。ありゃ八兵衛だ。あ!あの馬鹿!!あんな格好で出歩きやがって…」
八兵衛:「助さん。格さん。久しぶりじゃねぇか、元気だったかい?」
助さん:「俺たちは元気だが、そんなことよりも何だその格好は!」
八兵衛:「へへへ。いいだろ?この羽織??」
格さん:「いいだろ?じゃねぇよ!そんな派手な格好で出歩いたら奉行所にしょっぴかれるぞ!」
八兵衛:「へ?なんでだい??」
助さん:「馬鹿野郎。倹約令が出たの知らねぇのか?派手な着物はもう着ちゃいけねぇんだよ。
     質素に倹約が御上の方針になったんだよ」
八兵衛:「そうなのかい?知らなかった…」
格さん:「知らなかったじゃねぇよ…。このうっかり者が。とっとと着替えて来い!」

松平定信は前任の田沼意次と真逆の政策方針を打ち出します。その典型が「倹約令」。
幕府の役人はもちろんのこと庶民の生活にも口出しをして、贅沢を禁じます。
その禁じ方も厳格で、贅沢を見つけたら奉行所に連行することまでやっていました。

庶民の生活にまで口出しをするぐらいですから、当然田沼時代に行われていた公共事業なんかも
当然中止です。「無駄遣いはやめろ!」ってことで、田沼時代と正反対の「緊縮財政路線」に移行します。

【重商主義の否定】

助さん:「そういや格さん。三河屋の話だけどよ。あそこが入っている株仲間は解散させられたらしいな…」
格さん:「松平様は「金儲けは悪」って考えられている節があるからな…」
助さん:「倹約令の一件もあるから、商売やっている奴らは風当たり強いらしいぜ…」

前回、前々回と田沼意次の話の中で田沼意次は商業重視の政策(重商主義政策)をとりましたが、
松平定信はその路線を否定。この人はそもそもが「金儲け=悪」って考えているので(詳しくは次回話します)

「商人ばかりが儲けるのはけしからん!このままでは、武士や農民と商人の格差が広がるばかりだ!
商人を儲けさせたら賄賂が蔓延ったりしてろくな事がない」
という感じで、商人への優遇策を廃止します。

その結果、どうなったのか?

【デフレで不況の江戸経済】

助さん:「それにしてもよぉ、江戸の街も活気がなくなっちまったな…」
格さん:「そうだな…。それに職にあぶれたって奴も増えたしな…」
助さん:「実はよぉ、俺、田沼様の賄賂の話を聞いたとき「汚ねえことしやがる」って思ってたんだけど、
     今思えば、田沼様のころのほうが良かったのかもしれねぇな。松平様は厳格で清廉潔白な
     感じがするけど、なんかなぁ~」
格さん:「”白河の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき”ってやつだな…」

さて、松平定信の政策の結果、経済はどうなったのかというと、「デフレと不況に苦しむ」ことになります。

松平定信は倹約令で庶民の贅沢を禁じたので、急激に消費が落ち込み、需要が減少します。
需要<供給のデフレ構造になります。
で、ここで公共支出が残れば多少は良かったのですが、公共支出も削減されているので、
民と官の両面からのお金の流れがストップ。商人の活動も悪くなります(儲からなくされちゃったので、
積極的な活動をするはずもなく…)

その結果、経済は不況に陥り、街には失業者が増加して治安も悪化したとか…。
(ちなみに、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵が登場するのはこのころです)

まあ、経済政策としては失敗です…。このころの庶民の想いを現す言葉にこんな狂歌があります。

”白河の清きに魚も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき”

意味としては「白河藩主(”白河”に掛かってます)だった松平定信の清廉潔白な政策よりも(”清き”に掛かってます)
濁った政策(田沼意次の賄賂の話に掛かってます)を取っていた田沼意次(”田沼”に掛かってます)の時代がよかったなぁ」
って歌です。

これ聞いて「あれ?数年前にも同じことあったぞ?」って思う方ももしかしたらいるかもしれませんね。

【松平定信は暗君だったのか?】

ここまで読むと「松平定信は駄目なやつじゃねぇか」みたいな印象になりますが、でも松平定信自身はそんなに
悪い人じゃないと思います。

松平定信の経済政策はおかしいですが、別に彼は不況にしてやろうとしてやったわけじゃなくて、
彼なりの考え方にもとづいて良かれと思ってやったんだと思います。

ただ、一つ言っておきたいのはその”良かれと思うこと”(松平定信の例で言えば倹約とか)が
必ずしも経済的に良い結果を招くわけではないということです。
(くどいようですが、数年前にも同じようなことをした人たちがいたので、そのことを言ってます)

今回は書きませんでしたが、実は松平定信は今で言う社会保障政策は結構やってます。
その手法はともかくとして少なくとも「民衆を救済せねば」という信念は強くあったはずですので、
その想いに関しては十分評価できると思います。

ただ、残念なのは彼が「経済オンチ」だったこと…。(あと田沼意次を頭から全否定したこと)
もし、彼が田沼意次並に経済に明るければ、田沼意次の良いところは継承して、
悪いところは是正していってくれたかも知れません。

ということで、今回はここまで。

次回は経済学の話というよりも社会学の話をします。
「徳川吉宗・松平定信が経済オンチだった理由」「徳川宗春が商人に課税出来なかった理由」
「徳川宗春や田沼意次の評価が低くて徳川吉宗・松平定信が高く評価される理由」
そして、「士農工商はなぜこの順番なのか?」このあたりの話に触れたいと思います。

では・・・。

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