こんにちはMPCの外山です。

間もなくクリスマスがやってきます。お父さんたち準備はOKですか?
お子さんたちはサンタさんが来るのを楽しみに待っていますよ!

くれぐれも、面倒だからという理由で「子供に現金を渡す」という風習を始めないように!
お子さんの夢は壊してはいけません。
(昨年の今頃から読んでくれている方は意味が分かると思います)

さて、今回は田沼意次の話の2回目です。1回で終わる予定が意外と書くことが
多くて2回になってしまいました。

【政策3 印旛沼開拓プロジェクト ~財政政策で経済を刺激~】

前回田沼意次が通貨制度を変えて金融政策を行ったってことまでは話しましたね。
で、その次に行ったのが、今の千葉県にある印旛沼というところの干拓工事です。

大阪や江戸の商人の出資も受けながら、沼の埋め立てをするってプロジェクト
なんですが、かなり大規模プロジェクトだったようで、利根川から江戸までの
運河を作ることも含まれていたことです。(要はインフラ投資プロジェクトです)

これ何をしているでしょうか?そう。「公共投資」です。

印旛沼開拓プロジェクトを進めることによって、多くの物資が動きます。
物資が動けばお金が回り始めます。

そして、工事をするとなると人手を集めることになります。雇用が創出されます。

雇用が創出されると、所得が上がります。所得が上がったらどうするか?
そのお金を使う人が現れますね。ということは、消費が増えます。
消費が増えればさらにお金が回るので、景気はよくなります。

印旛沼の開拓は歴史の授業なんかでは、「新田開発を行った」としか習いませんが、
これは明らかに財政政策という経済政策です。私は田沼意次は印旛沼開拓等の
新田開発を農業政策ではなく、経済政策として行ったと思っています。

ただ、この印旛沼開拓プロジェクトですが、結果的には失敗します。
理由は工事の途中に2/3ほど完成したところで災害(大洪水)が発生したことと、
その後田沼意次が失脚してプロジェクト自体が中止されたからです。

【政策4 商品作物の栽培を奨励 ~次世代の産業を育成~】

田沼意次は米以外の商品作物の栽培も奨励しました。
「商品作物のほうが付加価値が高くて高く売れるから」です。つまり儲かるってことです。

これ現代に置き換えるとどうなるのかというと、「成長戦略」ってやつです。

これまで、「米の栽培」という産業に依存していた状態から新たに「商品作物」という産業を
育成していこうという政策です。

これまでの
「米を作る」→「値段が安い(付加価値が低い)」→「農民も商人も儲からない」という状態から
「商品作物を作る」→「値段が高い」→「農民も商人も儲かる」という状態に持っていこうという政策です。

経済政策において「成長戦略」ってすごく重要で、これをやっておかないと経済ってよくならないんですよね。
以前もお話ししましたが、「金融政策」と「財政政策」だけでは一時的な効果はあっても、
時代や社会情勢に応じて新たな産業を作っていかないと経済って成長しないんですよ。

そういう意味では「成長戦略」までやった田沼意次の先見の明は評価できるかなと思います。

とは言うものの、成長戦略って難しい部分があって、「成長戦略について来れる人はいいけど、
ついて来れない人はどうするんだ?」って問題が常に付きまといます。

経済学は常に「人は合理的に行動するはず」という前提で物事を考えるので、
この場合も経済学の考え方でいけば「最初は付いて来れない人でも、長期的に考えたら
努力をしてついて来るようになるでしょ?」ってなるのですが、現実はなかなかそうはいきませんよね?
(こういう問題があるから、経済学の理屈で考えたら理にかなっていても、人によっては評価されない
ってことがあるわけで…)

田沼意次の政策も同じで、「田沼意次は農民を置き去りにしていた」という意見もあります。

【政策5 株仲間と上納金 ~税制改革で財政状況を立て直せ~】

さて、次々と経済政策を打ってくる田沼意次ですが、ここで一つ重要な問題があります。
「田沼意次は積極財政策でお金使ってるけど、幕府の財政は大丈夫なの?」
っていう問題です。えっと…このままだと大丈夫じゃないですね…。

吉宗の回でも触れましたが、幕府の財政が良かったのは綱吉のころまでで、それ以降はずっと財政難です。
田沼意次の時代も同様です。というか、そもそも田沼意次は「幕府財政の建て直し」のために老中に抜擢されました。
彼が色々な経済政策を行った真の目的は「幕府財政の建て直し」です。
(本当はこのことを最初に書いておかないといけなかったですね。ごめんなさい…)

でも、このままだと幕府からお金が出て行くばかりで建て直しどころではないですよね…。
前々回に登場した「徳川宗春」の二の舞です。

でもそこはばっちり手を打ちました。それも画期的なことをします。何をしたかと言うと…。

「商人から税金を取ることにしました」

前々回の徳川宗春の回の最後にもお話ししましたが、江戸時代には商人から税を取ると
いうシステム=今でいう法人税や事業所税に相当する仕組みがありませんでした。
田沼意次はこの状態を改善し、商人に上納金を納めさせて課税する仕組みを作りました。

具体的に何をしたのかというと、商人たちに株仲間などの団体を結成させて、商品の専売権を
与えます。で、その見返りとして上納金を納めさせます。

そして、最終的には財政の建て直しは成功し、幕府の貯蓄高は綱吉の時代(財政難になる前)の
額を超えて、最高額を達成します。

【田沼時代の経済政策のまとめ】

ここまで、一気に書いてきたので田沼意次の政策の流れ(どうやって財政を立て直したか)を
まとめておきます。

まず、通貨を変えることによって、お金の供給量をやします。今で言うところの「金融緩和」です。

お金の量が増えてもそれを使わなければ何の意味もないので、印旛沼開拓等の公共投資を
行ってお金を使う機会を作り出します。これは今の「財政政策」に当ります。
財政政策でお金が回り始めれば、儲かる人が出てくる→消費が増える→さらに儲かる人が…
ってサイクルが回りだすので、景気が刺激されて上がり始めます。

ただ、金融緩和・財政政策は一時的なものなので、これらの政策で景気がよくなっているうちに
新たな産業を育成していきます。これが「成長戦略」です。

そして、最後の仕上げとして「税制改革」を行って収入をアップさせ、財政を立て直します。

田沼意次の政策の流れをざっとまとめるとこんな感じです。あれ?これどこかで聞いたことがある流れですね?
300年後にも同じような政策が行われていますね。(ただ、税制が変なタイミングで来てますけど…)

【その後の田沼意次】

幕府財政の建て直しの後、日本に日本史上無い天明の大飢饉という災害が発生します。

この対応の行っているときに田沼意次の政策の問題点が浮き彫りになり、
田沼意次は失脚します。

本当はこの部分も書きたいのですが、長くなるのでまた機会があれば詳しく話します。
(問題点と言われていることでも、良く考えてみると「それを田沼の責任にするのはおかしくない?」
ってこともあるわけですが…)

そして、田沼意次が失脚した後、彼の政策は継承されることはありませんでした。
というよりも、ここまで積み上げてきたことが全否定されます。

その全否定をした人は「松平定信」といいます。そんな彼の政策は「寛政の改革」と呼ばれています。
次回は松平定信の話です。

では・・・。

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