こんにちはMPCの外山です。

真田丸がそろそろ終わりますね。なんだかんだ言って毎週欠かさず見てました。

来年は「おんな城主。直虎」です。浜松周辺が舞台なんですかね?
静岡の方々、頑張って盛り上げて下さい!

今回はお遊び企画の第4回目です。
前回、徳川吉宗の時代に景気が落ち込んだって話をしました。
そんな中、例外的に好景気に沸いていた街とそこのお殿様の話です。

【「魅力あふれる街」名古屋】

(名古屋の街娘)お菊:「あら、五郎さん。やっとかめ~。最近見かけんかったけど、どうしとっただん?」
(旅商人)五郎:「どうもご無沙汰しております。しばらく江戸に商売に行っておりまして…」
お菊:「そうかね。ご苦労なことでしたね~」
五郎:「でも名古屋はいいですね。景気が良くて。江戸では手前どもの商売もあがったりですよ…」
お菊:「将軍様が変わられてから江戸のほうは景気がわやになってまっとるらしいね~
    その点、名古屋はええがね!お殿様の宗春様がようしてくれとるでね。景気もようなっとるがね!」
五郎:「江戸でも「商売するなら名古屋へ行け!」って評判です。そんな噂を聞きつけて手前も名古屋に来た次第でして」
お菊:「頑張ってちょ!私も応援しとるでね!!」

はい。今回もふざけております!雰囲気を出すために名古屋弁を取り入れてみました。(使い方合ってるのかな?)
他の地域の方は読み辛いかもしれませんが、我慢して下さい!今回はこのスタイルでいきます。

現代では「魅力の無い街」になってしまった名古屋ですが、約300年前は「魅力あふれる街」でした。
その繁栄ぶりは京都をもしのぐほどで、「名古屋の栄華に京(興)がさめた」とも言われるほど。
名古屋を繁栄させたのは、第7代尾張藩藩主「徳川宗春」です。

では、徳川宗春とはどんな人だったのでしょうか?

【ファンキーなお殿様「徳川宗春」】

お菊:「あ!噂をしとったらお殿様が来たよ」
五郎:「え?もしかしてあの派手な格好で牛(?)に乗っている方がそうですか?」
お菊:「そうだよ。ああやって、いっつも街に出られとるんだわ」
五郎:「本当にですか?お殿様が街に出られるなんて他ではないですよ。それにあの格好…。
    あんな格好を江戸でしてたらお役人に咎められます…」
お菊:「格好ならお殿様だけじゃなくて、周りの人の着とるもんも見てみやぁせ。皆華やかな格好をしとるでしょう?」
五郎:「そうですね。それに、江戸じゃご禁制になっている芝居もやっているし。これはどういうことですか?」
お菊:「そりゃ、宗春様が華やかに暮らすことを勧めとるからだがね。宗春様はいつも言われとるよ。
    「倹約しとるだけじゃ、景気は良くならん」て」
五郎:「江戸と間逆だ…」

徳川宗春というお殿様はかなり変わった人でした。

まず、見た目がど派手でした。黒塗りの生地に朱色と金色でアクセントを付けた着物を着て
鼈甲で出来た大きな傘を被っていました。そして乗り物は”牛”。とにかくファンキーな人です。

見た目がファンキーなら行動もファンキー。普通は江戸時代のお殿様は庶民の前には出てこない
(出てきても庶民は顔を見てはいけません)のですが、当たり前のように街に出てきます。
「庶民は土下座をしてはいけない。殿様をしっかり見ろ!」という御触れまで出しました。

そして、街に出ては遊ぶ遊ぶ。殿様自ら遊郭に出入りしていたとか…。

そんな人だから、政策もファンキー。吉宗とは逆に「積極財政・規制緩和」をどんどんやります。

「お芝居OK」「お祭りOK」「遊郭OK」。江戸では規制されていたことをOKにします。
つまり、当時の尾張名古屋を現代で言うところの「経済特区」にしてしまったわけです。

それに宗春は着物に遊びにじゃんじゃんお金を使います。お殿様がそういう感じなので
当然そこについていく藩士たちも同じ感じだったはずです。
一見すると「名古屋人特有の派手好き」とも見えますが、私はここにも経済政策的な意味があったと
思います。これは宗春なりの「公共投資」です。

どういうことかと言うと、宗春(と藩士)の着物や遊興費はどこから出ているのかというと、
藩のお金から出ています。現代で言うなら「自治体(政府)のお金」です。
それを街(民間)に対して使う。これは「公共投資」です。

そして、街にお金が流れるから庶民も儲かります。そうすると、次は庶民がお金を使い出します。
消費のアップです。お金が回り始めるとどうなるか?そう、好景気になります。
お金の流れを止めた江戸とは逆の現象が起きます。

さらに、先ほども言った通り名古屋は「経済特区」なので、他の地域からも人がやってきます。
その人たちがまたお金を使います。さらに景気が良くなります。
以前「経営に役立つ?経済学で」私は「不景気のときこそ政府はお金を使わなければならない」
と言いました。私はこのことを経済学の理論にもとづいて言ったわけですが、宗春はそんな理論が
確立される以前にそれを実践していたわけです。

【徳川吉宗との対決】

五郎:「お菊さん。聞きましたか?宗春公が江戸の将軍様に呼ばれたらしいですよ」
お菊:「そりゃあんたえらいことだがね。何があったの?」
五郎:「なんでも、宗春公のやっていることが、将軍様に反抗していると思われたらしいです」
お菊:「何言っとりゃがす!間違っとるのは将軍様の方だがね!!」

名古屋を繁栄に導いた宗春ですが、その政策を快く思っていなかったのが将軍吉宗です。
そりゃそうです。自分の政策と反対のことをやってるんですからね。

宗春は将軍に呼び出され、詰問されることになりました。「お前!何やってるんだ!!」ってところです。
(実際直接怒られたのは名古屋でやっているのと同じようなことを参勤交代で行った江戸でもやってたからなんですけどね…)
ところが、その将軍に対して宗春はこんな感じの反論をします。

「将軍様は私が無駄使いをして倹約に努めていないっておっしゃいますが、私は倹約はしています。
将軍様は倹約のやり方をご存知無いから私が無駄使いしているように見えるのではないでしょうか?
そもそも、倹約、倹約とおっしゃいますが、潤うのは幕府の金庫のみではないですか、
民を苦しませてまで行うような倹約が本当に倹約なのでしょうか?私は確かにお金を使っています。
しかし、それはお金を使うことによって民が潤い、民の助けになるから使っているのです」

現代に置き換えると「私は放漫財政をしているわけではない!政策的に積極財政策を取っているのだ!!
緊縮財政策を推し進めることが本当に世の中のためになることなのか?」というような主張です。

しかし、とんでもないことを言ったもんです。普通の大名なら反逆と取られて下手したらお家取り潰しになりますよ。
でも、尾張藩は徳川御三家の筆頭です。もっと言えば紀州藩出身の吉宗よりも、尾張藩出身の宗春のほうが
実家の家柄は上です。お家取り潰しにはなりませんでした。しかし、宗春不在時に名古屋でクーデターが発生し、
その責任を取らされる形で結局宗春は謹慎処分になり失脚します…。

【その後の尾張藩】

宗春がいなくなったあとの名古屋は吉宗の倹約路線に方向転換をします。
そして名古屋の景気は縮小していきます。そして尾張藩は財政難に…。

財政難になったのは宗春の政策に一つ抜けていることがあったからです。それが何かというと…
「投入した資金を回収する仕組みを作っていなかったこと」です。
つまり、税収を得る仕組みを作っていなかったんです。

「え?何で??」って思うかもしれませんが、江戸時代には現代の所得税や
法人税に相当するシステムが無かったんですよ。言い換えれば
「農民からは年貢という税収(米での収入)が得られるけど、町民から税収
(銭での収入)を徴収するシステムが無かった」んですよ。

「だったら作っとけよ!」って思うかもしれませんが、当時の価値観からするとこれを
実現するのはかなりハードルが高いんですよ。
なぜハードルが高いのかは今回の企画の最後に説明します。

でも、その後この宗春の政策を中央政府(幕府)で行った人がいました。
その人の名は…「田沼意次」

ということで、今回は一般的にはあまり知られていない尾張藩藩主「徳川宗春」の
話でした。この人の行動を見ていると「暴れん坊将軍のモデルは宗春なんじゃないか?」
とも思ってしまいます。

私としてはこの人をモデルに大河ドラマやって欲しいです。
NHK関係者の方、見ていたら是非お願いします!!そしたら今度は
「大河ドラマ”徳川宗春”を3倍楽しく見る方法」って企画をやって視聴率アップに貢献します!!!

次回はいまいち評価されていない「田沼意次」の話をします。彼の汚名を晴らします!

では・・・。

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